2021年のノーベル物理学賞に、地球温暖化の研究をしている愛媛県出身の真鍋淑郎プリンストン大学上席研究員が選ばれました。
真鍋さんは1960年代に地球全体の気候モデルを開発し、大気中の二酸化炭素濃度が地球表面温度の上昇に影響することを世界で初めて示しました。
今回は、日本人で28人目のノーベル賞受賞者となった真鍋さんの経歴や家族構成について調べてみました。
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真鍋淑郎さんがノーベル物理学賞受賞!
アメリカ・プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎さん(90)が、2021年ノーベル物理学賞に選ばれました。
授賞理由は、地球の気候を物理的にモデル化し、変動を定量化して地球温暖化を確実に予測したこととされています。
真鍋さんは、コンピュータによる気候の種にレーションモデルを開発し、それを用いて気候の成り立ちと変動を解明するという研究分野を開拓しました。
また、二酸化炭素が増加することによる地球温暖化の理論的基礎を確立し、コンピュータ実験によって世界各地の気候変化を推定する研究で世界をリードしました。
真鍋さんは日本での研究グループのリーダーを務めるなど、日本における気候変動研究の発展や向上にも貢献しました。
日本人のノーベル物理学賞受賞者としては、2015年の梶田隆章さん以来、12人目となっています。
真鍋淑郎さんの経歴は?
真鍋淑郎さんの国籍はアメリカ合衆国!
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真鍋淑郎さんのプロフィールをまとめてみました。
- 名前:真鍋淑郎(まなべしゅくろう)
- 生年月日:1931年9月21日(2021年現在90歳)
- 出身地:愛媛県宇摩郡新立村
- 国籍:アメリカ合衆国
- 職業:地球科学者
真鍋淑郎さんは、元々日本で生まれ育ちましたが、1958年にアメリカ国立気象局(現在のアメリカ海洋大気庁)に入り、主任研究員となりました。
その後、1975年にアメリカ学級国籍を取得しました。
真鍋淑郎さんの学歴は?
真鍋淑郎さんの実家は村内で唯一の医院で、父も祖父も医者でした。
そんなエリート家系に生まれた真鍋さんの学歴がこちらです。
- 新宮尋常高等小学校卒業
- 愛媛県立三島中学校(現在の愛媛県立三島高等学校)卒業
- 東京大学理学部地球物理学科卒業
- 東京大学大学院博士課程修了
大学や高校、当時のエピソードを調べてみました。
真鍋淑郎さんは東大卒!
優秀な頭脳を持って、大学は東京大学を卒業しています。
真鍋さんは祖父も父も医者だったため、医学部に進むことも考えたそうですが、「緊急時に頭に血が上がる性格で、医者に向かない」との理由から、地球物理学の道を選んだのだとか。
また、手先も器用なタイプではなかったそうで、こんなエピソードも!
「カエルの解剖では神経をちょんぎるわ、化学の実験では硫化水素を入れて爆発させちゃうわで、医者になるのはあきらめた」。次第に自然現象の不思議さにひかれ、地球物理学や気象学の研究に興味の対象が移った。
カエルの解剖で神経切る・化学実験で爆発…真鍋さん「不器用」と医者断念 : 科学・IT : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
真鍋淑郎さんの出身小中高校は地元愛媛県!
真鍋さんは地元愛媛県の小中高校を卒業しています。
出身高校は現在の愛媛県立三島高校です。
偏差値は39~49ほどと、進学校ではないようです。
大学は上京して東京大学に進学されたということで、かなりよく勉強されたのでしょう。
また、小学校の同級生によると、真鍋さんは小さい頃から特に成績優秀で勉強好きだったそうです。
「すぐ隣に住む親戚も優秀だったが、『遊びに行っても(真鍋さんは)いつも勉強してる』と、ぼやいていた」。
真鍋淑郎さんの地元・愛媛も喜び 小学校の同級生「夢みたい」:朝日新聞デジタル (asahi.com)
小学校時代の真鍋さんは「勉強はクラスでずっと1番。負けず嫌いだった」という。同級生に「台風をどうにかして避けられないか」と話していたといい、「当時から気象に関心があるようだった」と男性は振り返る。
地域で唯一の医者の家に生まれた真鍋さん、同級生「立派な人物が出て誇らしい」(2021年10月6日)|BIGLOBEニュース
小覚醒時代から勉強が良くできることで有名だったようです。
真鍋淑郎さんは研究熱心な上に気さくで人気者!


真鍋さんは東京大学大学院気象学博士課程を終了後、アメリカ確立気象局に入り、落ちに主任研究員にまでなっています。
真鍋淑郎さんの受賞経歴がすごい!
研究員となってから受賞した庄野和もそうそうたるものです。
- 1966年:藤原賞(日本気象学会)
- 1967年:Clarence Leroy Meisinger賞(アメリカ気象学会)
- 1970年:米商務省ゴールドメダル
- 1991年:カール=グスタフ・ロスビー研究賞(アメリカ気象学会)
- 1992年:第1回ブループラネット賞
- 1993年:Roger Revelle Medal(アメリカ地球物理学連合)
- 1995年:朝日賞(朝日新聞社による賞)
- 1997年:ボルボ環境賞
- 2007年:マルギ大学より名誉博士号
- 2010年:ウィリアム・ボウイ・メダル
- 2015年:ベンジャミン・フランクリン・メダル(アメリカのノーベル賞)
- 2016年:BBVA Foundation Frontiers of Knowledge Award
- 2018年:クラフォード賞
- 2021年:ノーベル物理学賞
とんでもない数の賞ですね!
研究員時代は研究熱心だが気さくで人気者だった!


これほどの数の賞を受賞していて、素晴らしい業績を残した真鍋さんですが、共に働いていた周囲の人からは人間的にも高く評価されています。
科学技術庁(当時)の地球フロンティア研究システムで共に働いた新潟大理学部教授(気象学)の本田明治さん(53)によると、当時60歳だった真鍋さんは気さくで親しみやすく、職場には元気な声を響かせていたそうです。
真鍋さんは米国生活が長かったためか、コンビニのおにぎりを気に入って食べていたというエピソードも!
同僚からも慕われていたことが伝わってきますね!
筑波大の釜江陽一助教(36)は、筑波大で開かれた真鍋さんの講演会や懇親会に参加したときの印象を「非常にエネルギッシュで、感銘を受けた」と話しています。
アメリカで働いていたときも、真鍋さんはみんなの人気者だったそうです。
真鍋さんの名前「しゅくろう」は、米国人に発音しにくく、愛称は当時、米国でよく知られていた坂本九さんの「上を向いて歩こう」の英語の題名「SUKIYAKI」にちなんで、「スキ・マナベ」だった。沖さんは「気さくな真鍋さんは、みんなから『スキ』と言われ、好かれていた」という。
米国で研究の真鍋さん、周囲から「スキ・マナベ」と呼ばれ「好かれていた」 : 科学・IT : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
アメリカでも「スキ」と言われてたなんて、真鍋さんがいかに周囲に愛される人だったかが分かります。
まとめ
日本人で12人目にノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎さんについて、出身大学や研究員時代に受賞された賞などの経歴をまとめました。
90歳で現役研究員をされているなんて、びっくりです!
また、研究の成果が素晴らしいだけではなく、人間的にも魅力的な人で、周囲からも慕われていたのですね!
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